2017年05月09日
創立記念企画②~ナカサクと共に歩んだ歴史~前編
昨年の4月1日に創立90周年を迎えさせていただきました。
前会長の中作弘氏に入社から社長退任までについてお話を伺いました。
3回に分けて(前編、中編、後編)株式会社ナカサクの軌跡をご紹介させて頂きます。
(以下、社内報なんでも屋2015年4月号掲載の文章です。)
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『私の履歴書』

■中作弘(なかさくひろし) Profile
昭和9年1月 初代社長で創業者である中作幾次の長男として尼崎市で生まれる
昭和16年 尼崎市立竹谷国民学校入学
昭和22年 卒業と同時に私立甲陽学院中学部入学
昭和28年 甲陽学院高等学校卒業
昭和29年 大阪府立大学工学部工業経営科機械コース入学
昭和33年 同校卒業
昭和33年4月 中作鉄工株式会社入社
■硝子業界へ関わるきっかけとなった、お客様との「和」
昭和33年4月に入社。当時、自宅は尼崎市昭和南通り6丁目で、自宅の前が
中作鉄工株式会社でした。従って通勤時間は0分。
仕事の指導は、社長である父と義兄の吉田範也(よしだのりや)常務に直接教わりました。
昭和33年に某硝子メーカー様が大阪梅田に仮事務所を構えられ、堺工場建設の準備
にかかっておられ、社長に供われて足繁く訪問していました。
当社で板硝子製造設備を受注するには、昭和南通りの工場では手狭で対応出来ないため、
西長洲東通りに、尼崎第2工場の建設に着手し、組立工場を急遽(400㎡)完成させ、
先方の主要設備であるフルコールマシン2台とその関連設備、また硝子溶解窯
の鉄骨、型板硝子製造用のローリングマシン等、当社初代社長の独特の営業力をもってして、
当時の中作には過去最大の受注でした。
某硝子メーカー様の堺工場完成(昭和34年)に当り、
光栄にも竣工式において、列席者全員の前で表彰されました。
当時の先方には、旧 徳永硝子様の技術者が多くおられましたが、
当社にとって特に技術指導及び設計面で並々ならぬお世話になったのが、
当時、若手係長(後の富士エンヂニアリング社長)佐野博(さのひろし)様でした。
昭和35年には先方の新工場で2号窯の建設が始まり、
Pマシンライン(4台)の増設をみました。昭和36年には
ベルギー硝子会社から磨き硝子の技術導入をされて、三重県松阪市に
デュープレックスの工場建設をされ、当社も松阪市朝田町に
1,500坪の土地を手に入れ、松阪工場の建設を完了しました。
昭和38年に先方の松阪工場が完成し、その間、
中作鉄工もレヤー(徐冷窯)及び溶解炉の鉄骨等の受注を
いただき、繁忙を極めました。 《次回につづく》
次回、中編はこちら
創立記念企画①~記念パーティー~はこちら
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■中作弘(なかさくひろし) Profile
昭和9年1月 初代社長で創業者である中作幾次の長男として尼崎市で生まれる
昭和16年 尼崎市立竹谷国民学校入学
昭和22年 卒業と同時に私立甲陽学院中学部入学
昭和28年 甲陽学院高等学校卒業
昭和29年 大阪府立大学工学部工業経営科機械コース入学
昭和33年 同校卒業
昭和33年4月 中作鉄工株式会社入社
■硝子業界へ関わるきっかけとなった、お客様との「和」
昭和33年4月に入社。当時、自宅は尼崎市昭和南通り6丁目で、自宅の前が
中作鉄工株式会社でした。従って通勤時間は0分。
仕事の指導は、社長である父と義兄の吉田範也(よしだのりや)常務に直接教わりました。
昭和33年に某硝子メーカー様が大阪梅田に仮事務所を構えられ、堺工場建設の準備
にかかっておられ、社長に供われて足繁く訪問していました。
当社で板硝子製造設備を受注するには、昭和南通りの工場では手狭で対応出来ないため、
西長洲東通りに、尼崎第2工場の建設に着手し、組立工場を急遽(400㎡)完成させ、
先方の主要設備であるフルコールマシン2台とその関連設備、また硝子溶解窯
の鉄骨、型板硝子製造用のローリングマシン等、当社初代社長の独特の営業力をもってして、
当時の中作には過去最大の受注でした。

光栄にも竣工式において、列席者全員の前で表彰されました。
当時の先方には、旧 徳永硝子様の技術者が多くおられましたが、
当社にとって特に技術指導及び設計面で並々ならぬお世話になったのが、
当時、若手係長(後の富士エンヂニアリング社長)佐野博(さのひろし)様でした。
昭和35年には先方の新工場で2号窯の建設が始まり、
Pマシンライン(4台)の増設をみました。昭和36年には
ベルギー硝子会社から磨き硝子の技術導入をされて、三重県松阪市に
デュープレックスの工場建設をされ、当社も松阪市朝田町に
1,500坪の土地を手に入れ、松阪工場の建設を完了しました。
昭和38年に先方の松阪工場が完成し、その間、
中作鉄工もレヤー(徐冷窯)及び溶解炉の鉄骨等の受注を
いただき、繁忙を極めました。 《次回につづく》
次回、中編はこちら
2017/06/07
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2017/04/07
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Posted by nakasaku at 11:19│Comments(0)
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